大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(う)594号 判決

本店所在地

東京都杉並区宮前四丁目一二番二三号

大和観光株式会社

右代表者代表取締役浅見和平

本籍

東京都立川市幸町三丁目二一番地の三

住居

同市羽衣町二丁目一番一六号

会社役員

浅見和平

明治四三年八月二二日生

本籍

東京都杉並区宮前四丁目一四八番地

住居

同区宮前四丁目一二番二三号

会社役員

斉藤豊

大正一二年一月六日生

右三名に対する法人税法違反各被告事件について、昭和五〇年二月五日東京地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告会社および被告人浅見和平、同斉藤豊からそれぞれ適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官粟田昭雄出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人浅見敏夫作成名義の控訴趣意書に、記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果を併わせ考えるに、本件は、被告会社の代表取締役として同社の業務を統轄していた被告人浅見および同斉藤が、同社の昭和四四年九月一日から同四五年八月三一日までの事業年度における被告会社の法人税一九二五万七四〇〇円を免れたというのであつて、その方法は売上げの一部を除外し簿外預金を設定して所得を秘匿するといつた手口によるものであり、その脱税額もこの種事件において必ずしも少ないものでないことなどを勘案すると、設立間もない被告会社が不時の支出に備えて資金を蓄積する必要があつたことや仕入担当の西山昇市郎の強いての要請によりやむなく土地売買について表裏二重の契約を締結したことなど本件犯行の動機や被告会社が本件査察後修正申告として、本税、重加算税、地方税などを完納していること、被告人浅見、同斉藤が宅造業関係諸団体の幹部として長年にわたつて活躍しており、本件を深く反省して再び過誤なきを期していること、その他所論の指摘する諸点を検討し酌むべき有利な情状を考慮しても、被告会社、被告人浅見、同斉藤に対する原判決の量刑が不当に重いものとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎四郎 裁判官 長久保武 裁判官 中野久利)

○ 控訴趣意書

被告人 大和観光株式会社

同 浅見和平

同 斉藤豊

右被告人に対する法人税法違反被告事件の控訴趣意は次の通りである。

昭和五十年四月三十日

右弁護人 浅見敏夫

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

原判決には判決に影響を及ぼすべき量刑の不当があり破棄さるべきものと思料いたします。

第一点 所得金額の正確度について

被告人等は、本件の責任を痛感するの余り査察官の認定した所得金額を一議なく甘受して修正申告を提出しており、原判決もこれに一致する認定であるので、弁護人としても逋脱税額を争うものではないが実際所得額として認定された基礎事実には次のような問題が伏在していることを情状として御理解賜りたいことである。

一、期末棚卸の過大計上

(1) 被告会社の経理を担当する公認会計士加藤定徳も供述しているように(昭和四十七年一月二十六日付質問てん末書)

実例によらない販売区画図を基礎にして販売したため図面上残地となつているものが、実在しないことがしばしばあり然もその数量不足を決算期に調整しなかつたので期末棚卸は各期とも過大に計上されていたことが窺はれ

その在庫量が逐年増加している推移よりみても(昭和四十七年一月十三日付査察官池上悦次作成の棚卸明細表参照)当期(昭和四十五年八月期)期末の棚卸が所得額を過大にしていることを推認し得る。

なお右池上査察官の棚卸明細表も実地棚卸を基準にしたものではなく、販売区画図により昭和四十六年十月二十五日現在の在庫量を求め、過去における販売数量を積算した逆算法により販売可能面積を求めたに過ぎないものであつて、被告会社の在庫量の把握の困難さを物語るものである。

(2) 売残り地の評価損が看過されている。

池上査察官作成の棚卸明細表によると

〈省略〉

と工事期別に棚卸の形で各期末の売残り地が明らかにされているが、被告人等が原審公判において縷述している通り造成された宅地は地形、位置、日照等立地条件の有利なものから順次買取られ、売残り地はその相当量が原価を割つて販売せざるを得ないと謂う。

試みに当期末の棚卸土地の内その后原価を割つて販売した地積損失額をみると、

〈省略〉

となる。

法人税法第三三条第二項、同施行令六八条第一項一号(ロ)(ニ)は棚ざらし商品の評価について規定しているが、被告人等にして税務に習熟していれば、相当額の評価損を計上し得た筈である。

(3) 昭和正業より買受けた土地の面積不足について

昭和四十五年三月昭和正業より代金額八、三二二万円の土地を買受けたが、面積不足の疑いがあつて当期々末には取りあえず契約額で計上した。その后実測して二、七三九万余円の面積不足が確定したのであるが四十六年五月妥協解決したところから決算上は四十六年八月期で調整している。従つて実質的には四十五年八月期末は棚卸額が過大計上になる。

二、未払経費の存在

被告会社は、栃木県今市市周辺の山林を買収し、これを集団宅地として造成の上別荘地用に分譲することを業としてきたものであるが、その営業実態は個々の宅地ごとに工事完了したものから逐次分譲して資金の回転をはかり団地として完備を要する道路、上下水道、電気等の諸施設、アフターサービスとしての除草、補修、管理等については将来完全実施を約束して分譲したものである。このように将来実施することを約束した工事に必要な費用を、現在分譲する宅地の工事原価にどのように配賦し、その損益計算を適正妥当なものにするかの措置は長い間懸案とされてきたが、慚く昭和四十四年五月一日制定の国税庁長官法人税基本通達二―二―二としてとりあげられ造成団地分譲による損益の計上については工事原価の見積制を建前とすることとなつたものである。

(1) 水道工事について

被告会社の分譲団地の内、第一期工事、第二期工事、第五期工事(一次乃至六次)第六期工事(一次二次)第七期工事(一次乃至六次)分は宅地合計二、五六〇区画にのぼるのであるが、同団地が別荘用地であるため全域が別荘化するには相当期間を要することが見込まれたので、会社は今市市当局に交渉して当分の間市水道の分与を受け市水道で賄いきれない状況になつたときは会社において右団地の用水量を超える規模の水道施設をつくり、これを市当局に寄附することを約束し、一方宅地の購入者との間においては一区画について三万円の負担金を拠出して貰うことで水道電気施設の完備を約束し受領した負担金を預り金として経理処理していた。

ところで昭和四十九年秋から市当局は水源地を決定し、用水路の設計、建設費用の見積りを樹て本年四月被告会社に対し水路等建設費を二一、九〇七万円(一区画当り八五、五七四円)と見積り要求してきたのである。

ところで右区画の内原判決の対象となつた四十五年八月期に分譲したものは二八五区画あるのでその負担額は預り金三万円(水道電気施設負担金)を全額水道建設費に充当してもなお一、五八一万円を要する。これは実質的には当期の所得計算上未払経費として損金処理されるべきである。

(2) アフターサービスについて

被告会社は宅地分譲時購入者に対し、別荘として建物のできるまでは宅地内の雑草苅払いを含む清掃、施設の小修理等の管理を会社の責任において実施することを約束しており地下の大島建設株式会社に委託実施していたところ、同会社より昭和四十八年七月三十一日付でその費用として一一、四六三万円の請求を受けているが、その内四十五年八月期中の所要額が八、七〇〇、六四〇円になつており、これまた未払経費に当るものと解される。

原判決によると、当期の実際所得額は九、三三一万余円、申告所得額四、〇八六万余円で逋脱所得額が五、二四四万円となるが前掲諸事実を考量するならば、当期の実質的な逋脱所得額は幾許となるであろうか。市当局との約束通り水道工事を実施すると恐らく被告会社の内部留保は殆んど全額はき出すことになるであろう。

第二点 本件犯行の動機

被告会社の設立は、宅造業界に進出してきた大手企業に対抗すべく中小企業の資本集成を試みたテストケースであつた。

被告人両名及び西山昇市郎・鈴木陸はいずれも中小規模の宅造会社を主宰する者であつたが、それぞれ資金を拠出し、各自の経験を生かして協力態勢をつくり四者が平等の代表権をもち、運営についての重要事項を合議しながら業務を分担する衆知糾合の経営を企画したものである。

被告人浅見が年長の故をもつて代表取締役社長と呼ばれて業務全般を統轄し、他の三名は代表取締役専務として、被告人斉藤は販売担当、西山は仕入造成担当として発足したところ営業の成果は短期間に飛躍的な伸張を逐げた如くであつたが、反面一城の主の集合体であるだけにそれぞれの個性が噛みあわない面もでて、昭和四十三年十月設立直后鈴木が離脱し、四十五年七月西山が退社し、四十六年六月の査察を経て四十七年五月被告人両名もそれぞれ新会社を設立して所期の構想は瓦解したのである。

ところで本件犯行の動機は、西山専務が専担した土地の仕入れにおける表裏二重の契約である。四十三年十月発足後、被告会社の経理においては土地の仕入れを実際取引額で計上していたが、四十四年一月に至り旧地主の所得税申告に関連して西山が土地の売買契約に際して地主に対し代金の一部を簿外で支払うことを約束していたことが判明し、窺余の策として被告人浅見が地主を戸別に訪問して実際取引額による申告を懇請し、西山口約の責任として簿外代金に相当する納税額の資金を会社で負担することで解決した。(被告人両名並びに西山昇市郎質問てん末書等)

このことを契機として被告人両名と西山専務との間で土地の仕入問題を検討したが仕入担当の西山が二重契約でなければ土地仕入はできない旨強調して譲らず被告人両名も同意を余儀なくされた。これが延ては資金の捻出を要することとなり、売上の計上洩れとなつた。売上の一部を簿外にすることは必然的に販売担当者に対する歩合給の一部を簿外支給する悪循環を生むことになつた。(原審公判における被告人両名の供述等)

土地仕入における裏の支払いと、売上計上洩れの関係が前述の経緯にあつたことは記録上売上計上洩れが四十四年一月三十日開始されその代金が三和銀行新宿支店に開設された内田正子名義普通預金口座に同年二月四日から入金されている事実と土地仕入れの裏の支払いが同月十四日から開始されていることによつて裏づけられる。

第三点 本件と西山専務との関係

西山専務は、被告会社設立当初から昭和四十五年七月退社まで被告人両名と同額の出資をなし、同額の報酬を受け、代表取締役として同等の地位にあり、会社運営に関する重要事項を合議し商品たる土地の仕入、宅地造成の業務を専担していたものである。

被告会社が本件逋脱犯の態様として売上計上洩れをするに至つた主因が、西山の独走による土地仕入の二重契約を被告人両名に押しつけたことにあることは前述の通りである。

更に西山は今市の地下不動産業福田由一郎と結託し同人を不当に利する方法で土地の仕入を担当させ、会社資金を今市市内等の銀行に預金してその通帳印鑑を同人の管理に委せ、金銭問題で過誤を犯しても解決は極めて寛大であつた(福田証言)。そればかりでなく福田に頼み西山と特殊関係にあつた大平あや子の父大平誠蔵の名義で地主から土地を買取りそれに五〇〇万円上乗せした金額で被告会社に売込むという不正まで敢てなし(西山てん末書、福田証言、被告人浅見の原審公判の供述)更に被告会社が計画的に買収を進めていた霧降団地内に西山個人として七千坪の土地を購入し退社后これを利用して会社の営業を妨害し、退社の際被告会社の社員一〇〇名を引抜き、そのことに関連して暴力事件まで引起している。

また退社に際して退職慰労金四〇〇万円を受領した上に簿外資金から一億円供与方を強要しやむなく会社側が妥協して二、一〇〇万円を寄附金扱いで支給したところ、それに所得税がかかつたからと税金相当額三八〇万円をも会社に負担させた程の人物である。風聞によれば、本件査察の端緒は西山の投書であると謂う。言うなれば、西山専務は本件犯行の動機をつくり担当業務にからんで不正行為を重ね、退社に際しては不当な要求を貫き、その結果は西山の異常なまでに執拗な性格に引きづられた被告人両名だけで責任を負うことになつたのである。抑々本件の行為者として告発されたのは被告人浅見独りであつたものを検察官の認知で被告人斉藤も起訴されたものである。決算期一ケ月前に退社したとはいえ、前述の事情にある西山が責を免れるとは公平を欠くと言わざるを得ない。

第四点 本件と被告人両名の関係

動機はどうあれ本件犯行について被告人両名が西山専務と合意の上で売上の計上洩れ、架名定期預金の設定、土地仕入代金の簿外支払、歩合給の簿外支給等の操作をしたことは否定できない事実である。然しながら、前述のように全く対等の地位にあつた三者が業務を分担したために自ら責任の帰属が曖昧となり、また販売面の伸張に主力が集中されて経理面の体制に不備があり、売上計上洩れの額、仕入れの簿外支払額等について正確な数字を把握せず、簿外の預金の管理は総務部長の浅見正に一任し、歩合給の裏分の支給は機械的に経理係において処理し、商品在庫について実態を把握する配慮がなされていなかつた等実際所得額を知る術はなかつたのが実情である。被告人両名が検察官から当期の逋脱所得の額を尋ねられ二~三千万円と思う旨述べているがこれが当時の偽らない認識であつたものと思料する。

第五点 本件犯行后の態勢

被告会社の設立は構想としては優れたものであつたが、結果は失敗に終つた。特に設立二期目にして査察を受けるという異例の打撃が痛かつた。これをきつかけにして四十七年五月被告人浅見は大和観光株式会社を設立し、被告人斉藤は大和観光建設株式会社を設立して事実上共同経営に終止符を打つた。

被告会社は査察后

昭和四十六年八月期には所得金額二九一、七一二、四三六円(法人税額一〇五、四九六、九六五円)

昭和四十七年八月期には所得金額三八四、六一二、九〇九円(法人税額一四一、〇八二、四一〇円)とガラス張り経営による申告納税を続けながら査察による修正申告税額として

法人税、二〇、一七六、一〇〇円 重加算税、五、四一六、五〇〇円 地方税、九、二六〇、一七〇円

その他、三、六九六、〇四〇円 計、三八、五四八、八一〇円

を完納し遅ればせながら国家公共の財政侵害に対する償いを果している。

なお被告会社の現状は、被告人両名が代表取締役として社員三名を残し、整理的に業務を継続しているが、本件裁判のこともあり、また前述水道施設、アフターサービス問題等困難な問題を抱えている。

借入金も徳陽相互銀行新宿支店から二千万円、大東相互銀行宇都宮支店から一〇、九九〇万円ありこれはいずれも被告人浅見が個人で連帯保証している。

幸資産負債を対比し正味資産五億円とみているのでその責を果し得るものと考えているが資産中には商品としての土地が九二、〇〇〇万円あり、これが処分についても一層の努力を要するところである。

第六点 被告人両名の宅造業界における功績

被告人両名が宅造業関係諸団体の幹部として長年に亘り貢献してきたことは原審において訴えたところである。検察官は被告人両名がなおその地位に留つていることは刑責について反省不足と責められたが宅造業界の事情は両名を関係諸団体から除き得ない窮状にあることである。

被告人両名とも査察直后辞意を表明したが許されなかつた。それが四十八年のオイルシヨツクに端を発した不況、四十九年十二月施行の国土利用計画法による各種規制、土地譲渡に対する法人税二〇%の重課等業界は難問山積して曙光を見出し得ない不況のドン底に喘ぎ倒産相次ぐ状況で益々その地位を離れることが許されない事情に追込まれている。

被告人浅見が副理事長の地位にある日本宅造協同組合は最近組合員四社が相次いで倒産しこれに対する融資の焦つきで組合自体倒産寸前の姿にある。事実上理事長代行の浅見は大和観光開発株式会社及び同人個人の信用を背景に組合継続の道を開くべく奔命している。

また被告人斉藤は、同人が常務取締役の地位にある全国不動産信用保証株式会社が不動産取引の減少から保証業務激減し人員整理を含む業務縮少のために大和観光建設株式会社の本務を放擲して東奔西走している。

第七点 被告人両名の現状

被告人浅見が主宰する大和観光開発株式会社は現在社員二四八名を抱え、日光周辺において建売並に宅地分譲を行つているが、その経営の難しさは前述の例外ではない。会社の運営資金として埼玉銀行他五行より合計七三、七二〇万円の借入れがあるが、これは総て浅見の個人保証がついており且つ同人の経営者としての能力が買われての融資である。

社員に対する給与も四十七年九月当時一ケ月二、〇九五万円であつたものが五十年三月においては実に四、八九八万円となつている。更に同人は代表取締役社長として被告会社の借入金一二、九九〇万円についても個人保証している。

被告人斉藤についても同様である。大和観光建設株式会社の社員数は二七九名(他に研習生八二名)銀行借入金は総て斉藤の個人保証で総額一四、六六五万円にのぼる。四十八年上半期においては社員数二二〇名で一ケ月の売上三億六千万円であつたものが五十年三月には社員数二七九名で売上は一億八千万円と半減している。

被告会社並に右両会社とも被告人両名の信用と経営能力にその盛衰をかけているのである。社長を抜いては経営継続を考えられないのが中小企業の宿命である。被告人両名が経営陣から脱落することは即ち会社の倒産を意味するのが現実である。

本件脱税事件の刑責を軽しとするものではない。然しながら過去において業界に尽した功績、現在なお余人をもつては替え難く関係団体の運営に努力を続けさせられている被告人両名である。

また被告会社については残された各種債務の履行、宅地購入者に対する約束の実行、主宰する両会社についてはその経営自体社員五二七名の生活の問題、その総てが両名の進退にかかつている。原審公判において担当裁判官は被告人浅見に対し「貴方個人に罰金の言渡しがあつた場合は支払うことができるか」とまで尋ねられた。然し残念ながら判決は懲役四月であつた。

今更喋々するまでもなく、いかに軽くても体刑の言渡しあることは宅地建物取引業法第六十六条第五条により被告人両名に被告会社並びに主宰する会社から退社を命ずることであり業界諸団体の役員辞任を命ずることである。

前掲諸事情を酌量せられて願くば原判決破棄の上被告人両名にも罰金刑の御裁断を懇願する次第です。

以上

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